ジェンダー問題に関する専門図書館

国立女性教育会館(NWEC)は、埼玉県にある男女共同参画を推進する唯一のナショナルセンターです。

NWECの中には、ジェンダー問題に関する専門図書館 女性教育情報センターがあります。

今年のポスターセッションでは、

日本国憲法に男女平等の条文草案を作成したベアテ・シロタ・ゴードンさん

NWEC初代館長で女性に関する情報センターをつくった縫田曄子さん 

を紹介するポスターを作成しました。ぜひご覧ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

縫田曄子さん(1922-2024)と 情報センター

縫田曄子さんは1942年9月津田英学塾(現在の津田塾大学)を卒業、上海の女子校の日本語講師などを経て1945年放送局(現在のNHK)に就職します。1年間のオハイオ州立大学への留学などを経て、1954年から婦人番組を手がけます。その後管理職を務め、1962年女性初の解説委員となります。
 

女性情報が少ない!
情報センターをつくりたい!

縫田さんは解説委員として女性、消費、家庭問題を中心に福祉、教育等を担当します。ニュース解説に必要不可欠な情報を集める際、女性問題、生活関連の情報は、他分野と比べてまとめて蓄積されてきた資料がないこと、どこで情報が手に入れられるか分からないことなどに苦労しました。

女性、生活に関する資料そのものや情報へのアクセスの少なさに苦しんだ経験が、その後の女性情報の収集、情報センターづくりへの関心に発展します。

 

東京都初の女性局長、
そして国立婦人教育会館初代館長に

1971年4月、東京都で民間から女性局長を登用することになり、縫田さんは同年6月から4年間、民生局長を務めました。都では婦人会館設立の要望が出ており、民生局婦人部で準備委員会を立ち上げます。縫田さんは女性のための情報センター設置に向けて動きますが建設地が決まらず、財政の逼迫もあり、在職中には実現できませんでした*。


 1975年7月から解説委員に戻り、翌1976年、国立婦人教育会館の館長就任を打診されます。女性のための情報センターをという夢の実現と、開かれた施設とするために中立な立場で運営する責任が館長にはあるのではないかという思いで引き受けます。

*退職後の1979年、日比谷図書館の一画に「東京都婦人情報センター」が開室しました。

縫田さん館長時代の写真(1980)
国立婦人教育会館館長の頃(1980)

 

ついに情報センター(情報図書室)開室へ

国立女性教育会館は1977年11月に開館、翌1978年4月情報交流課が新設され、1979年11月、念願の情報図書室が開室します。
 縫田さんは著書『情報との出合い : 語り下ろし』で、情報事業から男女平等の達成を目指すために必要な「女性情報」の原点を以下のように述べています。

  第一に、女性の状況の把握、問題解決のために必要なジェンダーの視点によるデータ、調査を重視すること。

 第二に、多様な女性問題に対応できるように、図書の分類は日本十進分類法を一部展開し、独自の分類法を採用していること。
      
 第三に、女性の実態を広く把握するために、全国紙や地方新聞の女性問題関連の記事の切り抜きを開館当初から収集・蓄積し、女性団体・グループ発行のニュースレターやミニコミ誌、地方公共団体関係の資料など、いわゆる灰色文献も多いこと。

 第四に、これらの図書や資料の検索のためのデータベース、シソーラス(情報検索用の索引)を新たに開発し、ジェンダー視点による情報の体系化をはかっていること。

 

縫田さんと情報図書室のその後

縫田さんは1982年7月に2代目館長志熊敦子さんにあとを託して館長を辞しましたが、退職後もセミナー開催など精力的に女性情報事業に関わりました。
情報図書室は1987年に「婦人教育情報センター」、2001年に「女性教育情報センター」と名称変更しました。
現在も十進分類法に基づいた独自の分類や新聞記事の切り抜きと目録の公開、ジェンダー関係のデータベースの作成・公開など、女性情報の基礎を踏まえた情報の収集・保存・公開を行っています。

婦人教育情報センター開室の写真(1987)
婦人教育情報センター開室(1987)


縫田さんは世界女性会議の政府代表、財団法人市川房枝記念会理事長、男女共同参画審議会座長等を歴任、2024年9月9日102歳でご逝去されました。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ベアテ・シロタ・ゴードンさん 

知っていますか?
憲法第14条「法の下の平等」
  第24条「両性の平等の原則」の条文草案を作成した女性

憲法草案に関わった頃(22才)の写真
憲法草案に関わった頃(22才)

 

ベアテさん(1923~2012)は、1929年にピアニストの父レオ・シロタが東京音楽学校(現東京芸術大学)教授として赴任するのに伴い家族とともに来日し、日本で幼少期を過ごしました。1939年にアメリカ・ミルズカレッジへ単身で留学。1945年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局員として再来日。1946年、日本国憲法草案作成に携わり、第14条「法の下の平等」、第24条「両性の平等の原則」の条文草案を作成しました。その後アメリカに帰国、芸術ディレクターとしてアジアの芸術家を支援しました。退職後の1990年代から、日本各地で憲法に関する講演活動を行いました。

両親とピアノを囲んでの写真
両親とピアノを囲んで

 

女性教育情報センターでは、ベアテさんの関連の図書、DVD、講演録を所蔵しており、どなたでもご利用いただけます。
女性アーカイブセンターでは、書簡、写真、講演原稿等のベアテさんに関する資料を所蔵しています。
これらの、戦前から現在に至る日本の男女共同参画社会の形成過程において重要な役割を果たしたベアテさんの生涯の記録は、後世に伝えるべき貴重な資料です。

富山弁で憲法二十四条(ベアテさんの会)の資料画像
富山弁で憲法二十四条(ベアテさんの会)

 

女性アーカイブセンター所蔵資料は女性デジタルアーカイブシステムで検索でき、一部は画像も公開しています。
ベアテさんの幼少期から晩年までを、資料や写真とともに紹介する展示パネル(9枚)の貸出も行っています。イベント・企画等にぜひご活用ください。

『真珠の首飾り』 カーテンコール 吉祥寺・前進座劇場 1998の写真
『真珠の首飾り』カーテンコール(1998)

 

ベアテ・シロタ・ゴードン年表

2019年度女性アーカイブセンター オンライン 展示 「ベアテ・シロタ・ゴードン展 ~日本国憲法に男女平等の思いを込めて~」
https://www.nwec.go.jp/event/archivecenter/Beate_online.htm

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

女性教育情報センターでは、この度紹介動画をリニューアルしました。

最新の情報が盛り込まれた動画を、ぜひご覧ください。

 

 

 

イベントの有無
無し
担当者
国立女性教育会館情報課
電話
0493-62-6195
メールアドレス
infodiv@ml.nwec.go.jp

関連フォーラム