ヒ素を含む図書の安全対策

― 図書館で働く人々と利用者をヒ素中毒から守るために ―

人類は古代からさまざまな色材(顔料、染料)を使用してきましたが、そのなかにはオーピメント、シェーレズ・グリーン、パリス・グリーン等、ヒ素を含むものも存在します。近年、そうした危険な色材が使用された古い本が欧米や日本の図書館で続々と発見されています。図書館で働く人々や利用者をヒ素中毒から守るために安全対策をとりましょう。

19世紀の欧米ではシェーレズ・グリーンやパリス・グリーン(エメラルド・グリーン)など鮮やかな緑色の合成色材が流行し、ドレス、リース、壁紙、本の装丁にも使用されたが、それらの色材に含まれるヒ素によって健康被害が続出した。雑誌『パンチ』(1862年)の風刺画1

19世紀に流行したパリス・グリーンというヒ素を含む緑色の合成色材は、その毒性の高さから農薬としても使用された。

ヒ素を含む色材は和書にも使用されていた。この本の表紙の黄緑色の部分からヒ素が検出された。

 

1.データベースで自館の図書を調査

まずは、Arsenical Books Databaseという無料オンライン・データベースと自館のOPACを使って、ヒ素を含む本が自館にあるかどうかを調査しましょう。 Arsenical Books Databaseには2024年5月4日時点で313冊が登録されています2。ただし、登録されているのは19世紀を中心とした洋書であり、和書などは含まれていません(古い和書にもヒ素を含むものが存在します)。また、19世紀に出版された洋書のなかにもヒ素を含むか否かが確定していない本がまだまだたくさんあります。そのため、Arsenical Books Databaseを利用する際には、登録されている本だけでなく、登録されている本と出版者・出版地が同一で、なおかつ、出版年が近い本が自館にあるかどうかも調査しましょう。

Arsenical Books DatabaseはデータをCSV形式でダウンロードすることも可能3

 

2.使い捨てのマスクとニトリル手袋を着用

データベースを用いた調査で自館にヒ素を含む可能性のある本が存在することがわかったら、現物を確認しましょう。現物を確認する際は、必ず使い捨てのマスクやニトリル手袋等の保護具を着用しましょう4。近くに食べ物や飲み物を置かないようにも気をつけましょう。ヒ素が人体に侵入する経路は、呼吸に伴う吸入、皮膚や傷口等からの吸収、口からの摂取だからです。マスクは使い捨ての防塵マスクを使用しましょう。ニトリル手袋には着脱しやすいようにコーンスターチの粉が内側に付けられていることがありますが、その粉が本を汚したり害虫の餌となったりするおそれがあるため、粉が付いていない「パウダーフリー」「粉なし」のニトリル手袋を使いましょう。使用後のマスクや手袋は一般のゴミと一緒にせず、有害廃棄物として所属機関(大学、自治体等)の規則に従って処分しましょう。

さまざまなタイプの使い捨て防塵マスク。

 

3.本の観察と撮影

現物を確認するときはまず、書架に排架したままの状態で背表紙と小口の色を観察しましょう。19世紀に欧米で作られた本の場合、緑色や黄色の色材にヒ素が含まれているケースが多く確認されています5。そのため、データベースでの調査で該当した本が自館にあり、なおかつ、その背表紙ないしは小口が緑色か黄色であれば、「ヒ素を含む可能性がある本」として警戒する必要があります(ただし、緑色でも黄色でもない本からヒ素が検出されることもありますので、緑でも黄色でもなければ100%安全というわけではありません)。そのような観察の結果、ヒ素を含む(かもしれない)本を見つけたら、とりあえず表紙・背表紙・小口・見返し・タイトルページの写真を撮っておきましょう。写真を撮っておけば、何度も現物を確認する必要がなくなりますし、図書館の同僚や専門家に相談するときに本の状態を説明しやすくなります。

背表紙に貼られたラベルにヒ素が含まれていることもあるので、ラベルも観察する必要がある。

棚板の隙間や書架の裏側から小口の色を観察することも必要。

 

4.ヒ素を含む(かもしれない)本の隔離

もしヒ素を含む(かもしれない)本が自館にあることが判明したら、図書館で働く人々や利用者を守るための対策をすぐに取りましょう。その本が置かれている場所が開架であった場合は閉架に6、可動式書架であった場合は固定された書架に(可動式書架は振動・衝撃によってヒ素を含む本の埃が飛散しやすいため) 、貸出可能であった場合は禁帯出に変更しましょう。変更手続きに日数がかかる場合は、とりあえずOPACのデータに「移動中のため閲覧不可」等と記載して利用者がヒ素を含む(かもしれない)本に素手で触れたり持ち帰ったりすることを防ぎましょう。もし持ち帰ってしまうと、自宅で幼い子どもやペットが本を舐めてしまうおそれがあり危険です。図書館で働く人たち(正規・非正規の図書館職員だけでなく、清掃・蔵書点検・撮影・修復等の外部業者、アルバイト学生、ボランティア、司書講習実習生も含みます )がその本に触れてしまわないように、本を密閉できる透明の袋に入れて、できれば鍵のかかるキャビネットに別置しましょう。透明の袋を使うのは、開封しなくても中身を確認できるためです。なお、一部のヒ素化合物は熱やカビによって有毒なガスを発生すると言われていますので7、データロガーを用いた温湿度管理もしっかり行いましょう。

温湿度を24時間モニタリングするためのデータロガーの例。

 

5.デジタル画像とILLでアクセシビリティを確保

ヒ素を含む(かもしれない)本を隔離すると同時に、その本の代替物を使って利用者のアクセシビリティも確保しましょう。著作権が切れている本、たとえば19世紀以前の洋書であれば、既に他館によって全ページがデジタル化されてオンライン公開されている可能性があります。Google Books、Internet Archive、Gallica、Deutsche Digitale Bibliothek、国立国会図書館デジタルコレクション、各大学図書館のデジタルアーカイブや自館が契約している各種データベースを利用して、その本のデジタル画像を代替物として利用者に提供しましょう。他館が同じ本を収蔵していて、なおかつ、その本が再製本などでヒ素を含んでいない場合は、ILLで一時的に借りるのもひとつの方法です。もし、他館のデジタルアーカイブもILLも利用できない場合は、自館の本をデジタル化することを検討しましょう。その際は、デジタル化を担当する業者ないしは自館職員にヒ素中毒のリスクを説明し、十分な安全対策のもとデジタル化作業を行ってもらいましょう。

防護具を着用してのデジタル化作業。清掃、蔵書点検、デジタル撮影、修復など外部の業者の人たちが「ヒ素を含む(かもしれない)本」に触れる場面は少なくない。図書館があらかじめ仕様書に安全対策(保護具の着用等)を発注の条件として明示しておけば、彼らのヒ素中毒のリスクを抑えることができる。

 

6.図書館における安全対策の見直し

19世紀以前の本を収蔵している図書館は「ヒ素を含む本があるかもしれない」という前提に立って安全対策を見直しましょう。古い本を直接取り扱う職員のために使い捨てマスクやニトリル手袋を常備し、いつでも使えるようにしておきましょう。古い本を触る前だけでなく、古い本を触った後にも石鹸水と流水で手指をしっかり洗う習慣を身に付けましょう。古い本が破損して破片や埃が飛散すると、掃除や修理の担当者がそれらを吸い込んでしまうリスクが高まりますので、ブックサポートシステム(=ウレタン製書見台)等を積極的に使うなど本の破損を防くための工夫をしましょう。図書館で働く人々が体調を崩したときに、すぐに産業医や医療機関に相談に行ける環境をつくりましょう。

本の物理的破損を抑制するためのブック・サポート・システムとスネーク・ウェイト(紐状文鎮)。

蛍光X線分析を行えば、ヒ素を含んでいるかどうかを確認することができる8。ただし、蛍光X線分析装置は1台数百万円と非常に高価。また、作業者には放射線の取り扱いに関する専門知識や定期的な血液検査等が求められる。

 

参考文献

1.“The Arsenic Waltz,” Punch, or the London Charivari, London: published at the office, Febrary 8, 1862, p.54. 
2. Arsenical Books Database, Poison Book Project, https://sites.udel.edu/poisonbookproject/arsenical-books-database/ (最終閲覧日 2024年11月4日)
3. Arsenical Books Database(最終閲覧日 2024年11月4日)
4. Tedone, Melissa & Grayburn, Rosie, “Arsenic and Old Bookcloth: Identification and Safer Use of Emerald Green Victorian-Era Cloth Case Bindings,” Journal of the American Institute for Conservation, 22 Mar 2022, 7-10. DOI: 10.1080/01971360.2022.2031457. Safer Handling & Storage Tips, Poison Book Project, https://sites.udel.edu/poisonbookproject/handling-and-safety-tips/(最終閲覧日 2024年11月4日)
5. Tedone & Grayburn, 1-12.
6. Tedone & Grayburn, 8.
7. Tedone & Grayburn, 9-10.
8. Delby, Thomas, et. al., “Poisonous books: analyses of four sixteenth and seventeenth century book bindings covered with arsenic rich green paint,” Heritage Science, 2019, 7:91, 1-18. DOI: 10.1186/s40494-019-0334-2. Tedone & Grayburn, 1-12.

 

 

第25回図書館総合展ポスターセッション「古い洋書に含まれるヒ素 その歴史と特徴」は以下URLで公開中。

https://www.libraryfair.jp/poster/2023/153