この冒頭50字がポスター一覧の画面に出るので、ここでみなさんの興味を引けるかどうかということですね。広報担当者の腕の見せ所です。
難しいぃ~~
では、以下本文をどうぞ。
図書館総合展にご参加の
みなさん、こんにちは。
東北福祉大学図書館の広報を担当しています、東北福祉大学図書館広報ワーキンググループです。
(↑こちらが本学図書館の外観でございます。学生が写りこむとマズイのでこのアングルで失礼します)
メインの活動は、年2回発行の広報誌『としょかんぽう』の発行でして、
現在、No.36まで発行(12月にはNo.37が発行予定)しているこちら、
本学図書館のHPで全文公開しております。
全部見せます「としょかんぽう」!
ぜひ、全部見てください「としょかんぽう」!
さて、年2回発行と言いましたが
実は今年度は3回の発行になりそうなのです。
なぜかと言いますと・・・
昨年度末に大きい地震があったから!!
ご記憶の方も多いでしょう、2022年3月16日夜、福島県沖を震源とする地震が起き、
各地でさまざまな被害がありました。
(ちなみに本学では翌17日、18日が卒業式の予定でしたのでそりゃあもう大変でした。)
被災された他の図書館のみなさまもご存知の通り、地震後の図書館の片づけは
とても重労働かつ時間がかかる作業なのです。
ですが、これは実際に復旧作業を経験した図書館員でないと、その大変さはなかなか実感できないのではないでしょうか。
私も実際に経験するまで、甘く見ていました。
被災時の写真は発表されるけど、そのあとの作業はあんまり詳しく出ないよね。
経験者以外には作業状況がイメージしづらいのは仕方ないことでしょう。
そんなわけで作りました。
臨時増刊として4月に発行しました。
ぜひ、こちらを見て作業を追体験していただきたいです。
疲労感や筋肉痛、書庫を利用したい利用者からのプレッシャーをエネルギーに代えて書き上げました。
こうして記録を残しておいた方が次世代の図書館員にとってもいいですよね。
人間は忘れる生き物だからね。
東日本大震災からも10年たって、記憶が曖昧になってきたかも。
では、鼎談しましょう。
【東北福祉大学図書館広報ワーキンググループメンバー紹介】
幼少期、桂小金治に似ていた。性別はFemaleです。
鼎談が好き。鼎の字がかっこいいから。
今年度メンバー入りのニューフェイス。これがはじめての鼎談。
※全員ペンネームですが、実在しています。
改めまして、こんにちは。東北福祉大学図書館広報ワーキンググループです。
昨年、急に私たちの中で≪鼎談≫が流行し、『としょかんぽう』の発行に合わせて鼎談し記事にしていたのですが、今回、図書館総合展に参加ということでここでも鼎談していきたいと思います。
さて、東日本大震災の時ですが、私はまだここに勤める前なので秋田県にいたんですよね。
私も当時は図書館じゃなくて教務課に配属だった。(図書館→教務課→図書館)
当時、図書館にいたのはこの中では私だけですね。
当時の記憶はやっぱりもう薄れてきていますが、当時は事務室が1階にありまして(現在は2階)揺れた際はまず閲覧室の方の確認と避難誘導に走りました。
めちゃくちゃ怖かったです。避難を呼びかける声が震えてしまって。揺れで書架が倒れていたので、もし排架作業中だったらとか考えると・・・
やっぱりとにかく「書架から出てください!!!」ですよね。
私は教務課でまずデスクの下に隠れたんだけど、だんだん各所の非常扉が閉まっていく音が聞こえて、これは外に出ないと閉じ込められるかもと思ってデスクから顔を出したら、もう他の職員は誰もいなくて「えっ!?」って。
取り残された??他の人はすぐ避難してたってことですか?
わからない。特に声かけとかもなかったと思う。で、外に出たら「遅い!」って注意された。そのあとも、余震が起きると避難場所にいる学生たちに机の下にもぐってとか指示したけど、出る指示をするタイミングがわからなかったな。
確かに、出るタイミングを指示するの難しそうですね。またすぐ揺れるかもしれないし。
一晩中ずっと揺れてたもん。でも、この夜の星空が不気味なくらいメチャクチャきれいでねぇ。・・・それがかえって怖かったな。
発生は14時46分でしたっけ。そのあとは?もうすぐ夕方っていう時間帯ですよね。
うーーん、記憶が曖昧で。とにかく寒かった記憶はあります。
私、たまたま来ていた書店の営業さんの車で暖を取らせていただいた記憶あります。
そうなんですか!?
はい。2時間くらい。もちろん上司の許可をもらって。そのあとは歩いて帰宅しました。
私も自転車だったので帰りました。
私は大学に泊まったよ。どのくらいだろ・・・2~3日かな。そのあとは友達の家に泊めてもらった。やっぱり一人だと怖いので。
前に、震災で閲覧室(3階)が水浸しになったって聞いたと思うんですが。それは当日ですか。
いや、あれは翌日か翌々日だった。地震で停電してたんだよ。で、復旧して通電した時に、なんでか天井から水がジャーって。
私はそれ見ていないんですよ。震災当日は金曜日で、翌土・日は休んだので。月曜に出勤したら上司が天井をブルーシートで押さえてた記憶があります。
うん。その時は3人しかいなかった。私は大学に泊まっていて、通電するっていうから図書館が心配になって見に行ったの。同じように大学に泊まっていた図書館の上司2人がいて。で、なんか天井からジャーって。シャワルームかよ!ってくらいね。
どんどん水が床に溜まっていくのよ。私がバケツで窓から水を出して、もう一人がブルーシートでなんとか本を濡れないようにして、もう一人が天井裏を見に行って・・・あれ、なんで水漏れしたんでしたっけ?
ボイラーの配管だったと思う。停電で止まっていた汲み上げが通電と同時に流れて、ズレた配管からジャーって感じだったんじゃなかったっけ。
※この「かんいん」は本学図書館の広報WGメンバー以外を指します。メンバー以外なので数名おりますが全員同一のアイコンで失礼します。ということで先程の「かんいん」とは別人です。
寒いのにずぶ濡れになっちゃって。
近くの小学校では通電がキッカケで火事になりましたよね。
せっかくの通電でもタイミング次第では危険だってことですね。
出勤してからはひたすら復旧作業です。まず開架部分を職員でやったんですが、私はこういう復旧作業するの初めてで勝手がわからず図書が書架に入りきらなかったりして。前の棚もっと詰めておくんだったー!とか。
全部落ちてしまうと、どの書架にどのくらい入っていたかとかわからないですもんね。
しかも、4月7日の地震でまたほとんど落ちてしまって。終わらないって思いましたね。
秋田はどうだったの?
揺れはすごかったですよ。やっぱり走って閲覧室に行って「書架から出てくださーい!」って。当時は公共図書館にいたんですが、吹き抜けのホールがガラス張りだったので割れたらどうしようと思った記憶があります。復旧作業の記憶はそんなにないので図書の落下は多くはなかったんだと思います。
公共施設なので停電しても非常電源があるんですよ。それでテレビを見たら津波のニュースで、なんというか、あまりに衝撃の映像すぎて現実感がなかったです。あと津波の映像ばかりで地震の被害状況がわからないというか、太平洋側の街中の様子とかは全然わかりませんでした。
そうそう。避難中もワンセグでテレビのニュース見ている人とかいましたね。
うちの大学って高い場所にあるじゃん。だから市街地の方の火事とか見えたよ。ラジオで被害状況とか聞くと、あの辺がとか考えちゃって。
そういうのもツライですね。みなさんそんな状況でもその後も(月曜から)勤務してたんですか?
うーん。とにかくやること多くて。受験生に入試中止の連絡したり、卒業式も中止だから卒業生に証書類の配送手続したり、炊き出しもして、どこかで食料が売ってるって聞けば買いにいって、ガソリン確保しに行く人もいたし。在校生の安否確認とかもあって。職員の誰がいま学内にいるのかとかわからなかったな。今思えば勤退管理どうなってたんだろうね。
図書館はいつ復旧作業終わったんですか?
開架部分は職員で復旧して、閉架部分は学生のボランティアに依頼して、いつ頃終わったんだっけな。開館は4月27日からしてましたけど、閉架部分の復旧完了はもっと遅かったような。
私、その10月の異動で図書館に戻ってきたんだよね。その時にはもう図書館の復旧作業は終わっていたね。あれ???私が戻ってきたとき、事務室2階だったよ??
へっ???3月に被災して、その10月までには事務室を1階から2階へ移転させたってことですか?そんなことできます?元々。移転する予定だったんですか?
ん???えっ???そうでしたっけ??その年に?
図書館のみんな、9月頃に南三陸町の図書館復興のボランティアも行ったんだよね?図書館の復旧作業して、開館して、ボランティアも行って、事務室も移転させたの?
前に事務室だった場所、今は書庫ですよね。今の集密書架もそのタイミングで入れたんですか?
えっ??はい???
???????
記憶は薄れるもの・・・
あれほどの大災害でも10年が過ぎ、記憶が曖昧になってきています。
今回の鼎談を通じて、「そういえば・・・」と思い出すことも多く、
また、私たちの鼎談を聞いて他の館員が
(私たちの鼎談は事務室で雑談するスタイルなので)
「あの時、こうだったよ」とお話ししてくださったり、
当時の大学通信を持ってきてくれたりと、
(我が図書館では大学が発行した冊子等も積極的に保存しております)
記録、保存することと共に語ることの重要さも感じました。
これを読んでくださったみなさん、
よければ他の方と震災の日の話をしてみてください。
関東地方でも公共交通機関が止まって、帰宅できなかった方も大勢いたと聞きました。
西日本にお住いの方もニュースを見た時の記憶があれば、ぜひ周りの方と話してみてください。
そして自館の館報の記事にしたら記録に残ってきっといつか誰かの役に立つと思います。
もし、私たちに聞かせてもいいというお話であれば、ぜひこちらからお聞かせください。
当時は、あのバランス栄養食ばっかり食べたな。あればっかりだったよ。
そういえば・・・停電で家の冷蔵庫も使えなくなったので痛むものは早く食べなきゃいけないって・・・
そうですよね。寒い時期とはいえ保存しておけないですよね。
そしたら夫が、生卵をどんどんジョッキに割入れはじめて・・・
!!!???
「こんな時こそ栄養つけなきゃ!飲んで!」って・・・
生卵そのままなんて1個でもきついよ・・・
しょ、醤油は?
かけなかったと思います・・・
・・・飲んだの?
・・・・・・。
最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
記念に東北福祉大学図書館オリジナルブックカバー(文庫用)をプレゼントいたします。
ぜひお使いくださいませ。