古い洋書に含まれるヒ素 その歴史と特徴

猛毒のヒ素が塗られた古い洋書が図書館にあった!ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』を連想させる恐ろしいニュースが2018年にデンマークで発表されました。すぐに欧米の図書館や博物館が調査を始めると、欧米各地の図書館からヒ素を含む古い洋書が次々に発見されました。2023年9月25日時点で、欧米で発見されたヒ素含有図書の数は既に130タイトルを越えています。洋書を多数収蔵している日本の図書館にとっても、これはけっして他人事ではありません。

図書館の職員と利用者、古い洋書の販売・配達・修復・清掃・撮影などに関わる人々をヒ素中毒から守るために、ヒ素を含む洋書に関する研究動向、ヒ素を含む本が誕生した歴史的背景、ヒ素を含む本の特徴、ヒ素が含まれているかどうかを調査する方法、ヒ素を含む(かもしれない)本を発見したときの対処法について、知っておきましょう。

猛毒のヒ素が塗られた本が図書館に?

2018年に南デンマーク大学図書館の古い緑色の洋書からヒ素が検出されました。ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』を連想させるこのニュースに、欧米の図書館は大騒ぎになりました。誰かが悪意を持って本に毒を塗ったのでしょうか?いいえ、違います。じつは、古代から洋の東西を問わず、ヒ素を含むオーピメント(石黄)という鉱物が黄色い絵具の材料として使われることがありました。それにインディゴ(藍)を混ぜて作ったとみられる緑色の絵具が、南デンマーク大学が入手した古い洋書の表紙に使用されていたのです1

この発見以降、欧米の図書館・博物館では「古い洋書に使用されている色材(顔料、染料など)には有害な物質が含まれているかもしれない」という意識が高まり、図書に含まれる有害物質の研究が盛んになりました。しかし、日本におけるヒ素含有図書の研究はまだまだこれからです。

ヒ素を含む19世紀の固形絵具の写真

19世紀に多くの被害者を出したエメラルドグリーン

ヒ素を含む天然鉱物性の色材は古代から使われていましたが、18世紀末から19世紀はじめにかけて人工色材がヨーロッパで発明されると、そのかつてない明るく鮮やかな緑色が、欧米で大流行しました。その人工色材の主成分は亜ヒ酸銅やアセト亜ヒ酸銅といった有毒なヒ素化合物でしたが、当初はその危険性が十分に認識されていませんでした。

シェーレ・グリーン、エメラルド・グリーン、パリ・グリーン、シュヴァルツフルト・グリーン、ウィーン・グリーン等の名称で呼ばれ、もてはやされた、それらの人工色材は、19世紀の欧米においてドレス・壁紙・造花など様々な布製品・紙製品の着色に用いられ、多くのヒ素中毒患者を出しました2

そして、その美しくも危険な緑色の人工色材は、当時の本の表紙にも使用されました。奇しくも19世紀は、工業化と奴隷制度に支えられて製紙と綿工業が急速な発展を遂げた時代であり、また、公立学校の設立によって安価な本の需要が高まった時代でもありました。一部の富裕層だけがお気に入りの製本職人にオーダーメイドで革装本を作らせる時代は終わり、初めから製本されているクロス装やペーパーバックの安価な本が大量に製造・販売される時代に突入していました3

欧米の図書館・博物館では、2023年9月25日時点で、既に134タイトルも19世紀のヒ素を含む洋書が発見されています4

ヒ素を含む図書の特徴とは…

ヒ素を含む19世紀の洋書は、具体的にどのような見た目をしているのでしょうか?

下の写真は、蛍光X線分析によってヒ素の存在が確認された本の一部です。金の箔押し装飾が施された鮮やかな緑色のクロス装本もあれば、変色して茶色くなってしまったクロス装の本もあります。カルトナージュ・ロマンティークという様式の多彩色の装丁では、表紙の一部にだけ緑色の人工色材が使われていることがあります。クロス装だけでなく、さらに安価なペーパーバックの本からもヒ素が検出されています。

このように、ヒ素を含む19世紀洋書の装丁は、素材もデザインも多種多様であり、残念ながら、一言で「こういう見た目です」と、その外見的特徴を限定することは困難です。

ヒ素を含む本のサンプルの写真

ヒ素が含まれているかどうかを調べる方法

19世紀の洋書を収蔵している図書館は、収蔵書の表紙にヒ素が含まれているかどうかを、どうやって確認したらよいでしょうか?

まず最初に行うべきは、アーセニカル・ブックス・データベース(Arsenical Books Database)にその本が登録されているかどうかを確認することです。アーセニカル・ブックス・データベースは米国のウィンターサー博物館がオンラインで無料公開しているヒ素含有洋書のリストで、主に19世紀に出版された本を対象としています。

しかし、その調査は近年始まったばかりで、このデータベースに登録されていない本はまだまだたくさんあると考えられます。アーセニカル・ブックス・データベースに登録されていないけれどもヒ素を含むかもしれない…という本が見つかった場合は、蛍光X線分析という元素を特定する分析方法によって、ヒ素の有無を確認する必要があります。

蛍光X線分析によるヒ素の検査の写真

もしあなたの図書館にヒ素を含む(かもしれない)本があったら

もしあなたの図書館に、ヒ素を含む本、あるいは、ヒ素を含むかもしれない本があったら、どうしたらよいでしょうか?

まず、使い捨てのマスク、使い捨てのニトリル手袋(粉なし)等で自分自身をしっかりと防護して、その本を密封できる透明の袋に入れ、隔離しましょう。その本が置かれていた書架の棚板や、隣接していた本の表紙には、ヒ素を含む表紙から出た埃が付着しているかもしれませんので、ペーパータオルなどでそれらを拭きましょう。使用したペーパータオルは、使い捨てマスク、使い捨てニトリル手袋などと一緒にゴミ袋に入れて密封し、有害物質として処理しましょう。

使い捨てマスクと使い捨てニトリル手袋の写真

透明な袋に入れられ密封されたヒ素を含む本の写真

隔離した本は、ヒ素を含む(あるいはそのおそれがある)ことを明記したうえで、鍵のかかるキャビネット等に入れて、その鍵もきちんと管理しましょう。

 

参考文献

1. Delby, Thomas, et. al., "Poisonous books: analyses of four sixteenth and seventeenth century book bindings covered with arsenic rich green paint," Heritage Science, 2019, 7:91, 1-18. DOI: 10.1186/s40494-019-0334-2.
2. Hawksley, Lucinda, Bitten by Witch Fever, Wallpaper & Arsenic in the Victorian Home, London: Thames & Hudson, 2016. ISBN: 978-0500518380.
3. Tedone, Melissa & Grayburn, Rosie, "Arsenic and Old Bookcloth: Identification and Safer Use of Emerald Green Victorian-Era Cloth Case Bindings," Journal of the American Institute for Conservation, 22 Mar 2022. DOI: 10.1080/01971360.2022.2031457.
4. Arsenical Books Database http://wiki.winterthur.org/wiki/ARSENICAL_BOOKS_DATABASE (最終閲覧日 2023年10月23日)

 

第26回図書館総合展ポスターセッション「ヒ素を含む図書の安全対策 図書館で働く人々と利用者をヒ素中毒から守るために」は以下URLで公開中。

https://www.libraryfair.jp/poster/2024/262

担当者
馬場